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【書評】猛毒国家に囲まれた日本―ロシア・中国・北朝鮮

 

猛毒国家に囲まれた日本―ロシア・中国・北朝鮮

猛毒国家に囲まれた日本―ロシア・中国・北朝鮮

 

 目次

プロローグ 国を憂うということ―国家の根幹を成すのは「愛国」か「憂国」か
1章 虚構の大国、ロシア―国家にも貨幣にも頼れないときに頼るもの
2章 日本人とは何であるか―国を守るために必要なこと
3章 猛毒国家に囲まれた日本―北朝鮮、ロシア、中国の行く先
4章 猛毒国家とどう向き合うか―戦略的「虚言」と「虚構」の見抜き方
5章 世界を見抜く力、国を動かす力―「教養」「情念」「見えないものへの感覚」が真の力に

 刺激的なタイトルだが、ロシア人と中国人の文化歴史比較が論点のひとつとなっている。
 基本、農耕民族的でお金は忌むべきものとし、友達とあの世を信じているロシア人。狩猟民族的で拝金主義、現世快楽を求めあの世も友達も信じない中国人。
 「厄介な隣人」として我が国では一緒くたに扱われがちな両国の人間だが、かような差がある。
 で、「こんだけ違うと両国(ロシアと中国)の友好なんて永遠に無理じゃないか」というのが宮崎氏の発言。
 ちなみに、ロシアではずるい人間を軽蔑して「中国人100人分ずるい」というらしい。

<感想>
 私自身は佐藤氏をはじめとして、ロシアの本はそれなりに読んでいるが、中国は手薄。
 なので、宮崎氏の指摘が興味深かった。
 曰く、中国は「ネーションステイト(国民国家)」を確立しようと四苦八苦しているがうまくいかない。
 まずは「共産主義」、次に「拝金主義」、そして「狂信的中華主義」を利用しているが、チベットウイグルを始め、爆弾はいくつもある。
 あとは佐藤氏の国家間の分析の基礎には、常に「宗教」と「言語」がある。両者が同一だと同化しやすい。どちらかが違っているor似ているケドちょっと違うくらいだとと紛争のタネ。全く違うとケンカになりにくい。
 この論法でいくと、ウクライナチェチェンがロシアの火薬庫だが、そのとおりである。
 それからあの広大なロシア領土をおさめるには「権力の密度」にバラつきがある。
 シベリアなんかはボソボソ。だが、ウクライナチェチェンなんかはそういう意味では権力が密に集まる場所であり、そこで揉め事を起こすとロシアが真剣に鎮圧にかかってくる等が面白い視点だった。

【書評】仕事に効く教養としての「世界史」

 

仕事に効く 教養としての「世界史」

仕事に効く 教養としての「世界史」

 

  「日本人ビジネスマンとして世界を相手にするには、世界史の歴史が大切」とのことで書かれた書籍。
 全体的に歴史エッセイとして読む分には軽くて読みやすいし、ひととおり、歴史を学んだあとで、整理も兼ねて、大まかな流れをつかむには良いと思う。
 ただ、述べられていることがどこまで学問的に正確かは少し疑問な点も。
 あくまでも著者の解釈として留めるのがベストと思われる。
 
 それでも「第9章 アメリカとフランスの特異性―人工国家と保守と革新」のアメリカへの洞察は興味深かった(あとはカトリック教はめずらしく『土地を持った』キリスト教で、それがイタリアをはじめとするヨーロッパの統合を妨げていたなど)。
 アメリカが歴史が浅い上に、土地への情愛等自然な感情ではなく、「理性」を崇めないと成り立たざるを得ない国家であること、結果「白黒」をはっきりさせたがり、イギリスがもちいている「グレー」さが乏しいこと、「大統領への尊敬」が大衆の「王室への敬意」につながっていること。
 なにより「そうかも」と思ったのは、アメリカの自然風土の特異性。どこへ行ってもそれなりに農業的に豊かで、鉱物資源が取れる。
 そもそもの発見はコロンブスだが、彼が疫病を持ち込んだため、先住民族はほぼ絶滅。なので、ピルグリムファーザーズが東に到着した頃にはそのような豊かな土地が、ほぼ手つかずであった。
 まずは東に到着したものたちは、一旗揚げようと頑張る。だが、そこで失敗しても更に豊かな土地が西に広がっている。2回目の土地で失敗しても、3回目、4回目のチャンスがある。この何度もリベンジを可能とする土地の特異性が、前述の「理性への信仰」とあいまって、今日の「アメリカンドリーム」の土壌になっているのではないか、という考察だった。
 
<感想>
 若干厳しめにいうと「素人っぽさ」をどこまで許容できるか?というのがこの本の評価の分かれ目のように感じる。
 もし、西洋人の内在倫理についてなら『コルプス・クリスティアヌム(corpus christianum = キリスト教共同体)』について言及している佐藤優氏の「はじめての宗教論 右巻~見えない世界の逆襲 」のほうがいいかなァ、と感じたり。
 「真剣に」というより「頭の体操」ぐらいで。

【書評】仁義なきキリスト教史

 

仁義なきキリスト教史

仁義なきキリスト教史

 

  キリスト教の歴史…それは内部抗争の歴史。

 キリストの磔刑、初期協会の分裂、カノッサの屈辱に見る叙任権抗争、なぜか同じキリスト教徒の街を攻撃した、第4回十字軍、無神論を掲げる共産主義への敵視から行ったナチスへの協力…
 膨大なキリスト教史の中から「抗争」や「戦争」に焦点を当てた書籍。
 なんといっても特徴は、イエス・キリストはじめ、主だった登場人物が広島弁(正確には福山弁)を操る「ヤクザ」であることだろう。
 だが、これが血塗られたキリスト教史(キリストが磔刑に処されるている時点からそう言っても間違いではないと思う)にしっくりくる。なにより、聖書を通り一遍読んでいるだけでは頭に入りにくい固有名詞がイメージしやすくなっている。
 著者自身「一般的な説よりエンターテイメントを優先した部分がある」と後で述べているので、まるまる鵜呑みにするのはアレとしても、興味を持たせる入門書としては十分と考えられる。

<感想>
キリスト教×広島弁の取り合わせに目を惹かれ、読了。メインはカトリックで、「抗争」や「戦争」に焦点が当てられているので、エピソードの偏りはもちろんある。が、それを補ってあまりあるインパクト。アマゾンの好評価もうなずけた。 
 「愛と平等」を謳っているはずの宗教が引き起こすもうひとつの側面が明らかになる。